第36章 暗雲
今後のことを考えようにもそこまで頭が回らず、悲しい現実なのに涙さえ出てこない。
コンコン…
「湊。入るぞ」
なのに牛垣主任の声を聞いた瞬間、雫が溢れ出そうになった。
ほど近い隣に座った主任は「寒くないか?」と当たり障りのない声を掛けてきた。
頷いて応えたいのに時間がかかった。
何かするたびに涙が出そうになって聞いてほしいのに声が震えそうになる。
牛垣主任ならすべて知ってもいいと思った。
理由は分からない。
牛垣主任は愛情がある人だ。決して他人を蔑むようなことはしない。
それが身近にいて感じてきたことだ。
これ以上、大好きな主任に迷惑を掛けたくない。
「主任…」
「なんだ?」
「メールに書いていたことは、すべて…事実です」
覚悟を決めた俺は前の会社でのことを話した。
自分がゲイであること。
中学時代のことも含めて恋愛遍歴を明かす。
その間、主任は自分のペースで話せるように黙って聞いてくれていた。
顔を上げると主任は真剣な顔で顎に手を置き、状況を整理するように長瀬の名前を口にする。
「長瀬にも…、同様の嫌がらせを受けていないかが心配だな。湊だけなのか、副社長の息子が気に食わなくて貶めようとしているのか…」
どうやら主任は先のことまで考えている。
自分のことしか考えてなくてすっかりそこから長瀬のことがすり落ちていた。
長瀬とはあれから連絡を取り合っていない。
海外営業部の話は聞くけど、本部に用事があっても姿さえ見てない気がする。
そして思った。
長瀬はもう過去の人だ。
あれだけ大好きだったのに。
初めてできた恋人なのに。
不思議なことに綺麗に忘れていたことに気付かされた瞬間だった。