第115章 紀州動乱
光秀の剣先が、微動だにせず突き付けられた。
その場の空気が痛いぐらいに張り詰めた、その時…
わぁぁー!
遠くで一際大きな喚声が上がった。
「……何だ?」
剣先を突き付けられても余裕の表情を見せていた元就だが、喚声が聞こえた方を窺うように不審げに眉を顰める。
喚声は止むことなく次第に大きくなり地を揺るがす。
ガチャ、ガチャ……
静かな御所に甲冑の擦れる音が響き、一つの足音がゆっくりと近付いて来るのが聞こえた。
互いに微動だにせず睨み合いながらも、光秀と元就は近付いてくる足音へと意識を向ける。
その瞬間……
閉ざされていた戸が轟音とともに開かれた。
ぶわりと生温い風が吹き込み、几帳の薄衣が儚く揺れる。
逆光の中に立つのは、大きな一つの影。
低く、それでいてよく通る声が静かに落ちた。
「面白い話をしているな」
その声を聞いた瞬間……
光秀の口元がゆっくりと弧を描く。
「お待ち申し上げておりました。御館様」
そこに立っていたのは――
織田信長、その人だった。
甲冑の一部はひび割れ、陣羽織の胸元は乾いたどす黒い血の色に染まっている。
その姿は、潜り抜けてきた戦闘の烈しさを物語っているようだった。
だが、その深紅の瞳は獲物を狙う獰猛な獣のように鋭く輝いていた。
元就の目が僅かに見開かれる。
「チッ、孫一の奴、しくじりやがったか」
毒突きながらも元就の表情に落胆の色は見えず、寧ろ、どこかこの状況を愉しんでいるかのようでもあった。
信長はゆっくりと歩き出す。
その歩みは微塵も揺るがず、堂々と自信に満ちたものだ。
「この日ノ本に俺を殺せる者はおらぬ」
喉奥を震わせて低く笑う。
「上手く俺の裏をかいたつもりだろうが…詰めが甘かったな、元就」
静かだが、内に燃えるような激情が秘められた声音。
御所の空気が一変した。
それまで張り詰めていた緊張が、今度は絶対的な王者が纏う威圧の空気へと変わった瞬間だった。