第1章 悲しみの日々の終わり
扉をそっと開くと、微かに心地良いBGMが耳に滑り込んでくる。
踏み入れた店内は思ったよりこじんまりとしていた。黒を基調とした落ち着いた雰囲気で、ソファ席と小さなバーカウンター。それから「VIP」と書かれた札のかかった豪華な扉がシャンデリアの光を受け光っていた。
「いらっしゃい」
そう声をかけられてカウンターに目を向ける。長身のバーテンが懐っこい笑顔をこちらに向けていた。
(わ、すごい………か、かっこいい……)
海外のモデルのようなスタイル。褐色の肌と長身が一見威圧的に見えるが、顔にはどこか大型犬を思わせるような懐っこさがあり、黒の癖毛もどこか可愛らしかった。黒曜石のような瞳は心無しか野性味を帯びていて、少し厚めの唇と相まって何とも色っぽい。
「今日はお客さん来とらんけん、好きな席に座りなっせ」
「は、はい!」
思わず見とれているとそう声をかけられては我に返った。
(すごく見ちゃった……恥ずかしい……)
彼氏に浮気されて傷ついていたのに簡単に目を奪われた自分が恥ずかしくて、は慌てて目を逸らすとカウンターに向かった。
少し高いスツールに腰をかけ、落ち着きなく店内に視線を泳がせる。
「ご注文は?」
そう問われて固まる。そう言えばこんな所に来たことがないは何を注文していいのか分からない。ビール……なんて言うのもせっかくバーに来たのになんだか勿体ない。
「あ、え、えっと…すみません、こういう所初めてで、お酒も詳しくなくて……」
「あーなるほど」
素直に白状すると、バーテンダーは僅かに首を傾けをじっと見つめた。
「そんなら飲みやすかもんば適当に出させて貰うてよかね」
「はい、お任せします」
そう答えると彼はふんわりと笑顔を浮かべた。
その笑顔が優しくて、何だか泣きそうになって慌てて俯く。1人で慣れないバーに来て泣き出す、なんて余りにも分かりやすくて恥ずかしい。
溢れそうな涙をやり過ごしていると、目の前にグラスが置かれた。
「あ、ありがとうございます」
そう言ってグラスに口をつける。ふんわりとココアのような香りが広がる。
「わ、甘くて……飲みやすいですね」
「そりゃよかった」
甘いカクテルと優しい声に、凍りついた心が溶けていくような気がして、はもう一口グラスに口を付けた。