第71章 改革
公私混同甚だしい、分を弁えない要求、根拠のない主張ばかり。
他人の気持ちや立場を尊重しないで、自分だけに都合のいいように行動する「自分勝手かつ得手勝手な人達」によって、得てきた傷、心身的被害、それらを「そんなの知らん、どうでもいい」と過小視するばかり、「それよりこうしろああしろ」と人のことを一切考えず求めるばかり、口先だけで無責任、矛先がもし向けば必ず他へ責任転嫁し、その他を口封じかつ泣き寝入りさせて笑う。
積もり積もったそれらへの我慢が限界を迎えているのが、目に見えて伝わってきた。
まあ…沢田綱吉もまさに形は違えどその典型で殺されたようなもの…
過ぎた身内びいきと、争いの火種が「戦力」だと「リング」だと根拠のない理屈で…
己と身内だけを守り、肝心の大勢の部下を見ないまま、その他大勢に含め、沢山死なせたのだから…殺されて当然、因果応報とも言える……
『個』という違い、受容可能な範囲の異なりと、違った環境による常識違い、隔たり、決め付け、それらが『争いの火種』だというのに…;
たとえ力を無くそうが、言葉を統一しようが、何をしようが、『争いは決して無くならない』。
己というそれを通すこと、持つこと、それは誰しもが持つものなのだから…
似たようなものがあったとしても、完全に同じものはなく、全てが、異なる、唯一しかないものなのだから……
そういった他を考えない部類の人達は、大抵、到底ろくな最期を迎えない。
今では、そういった、他へ強いたり、己の常識を持つことやこう動けと求める部類の人であっても、
お互いに、殺されず、その上で働ける道、新たな場所を作ることを模索しているようだが…
神国でない限りは難しいと思う;
それらで『争いが起きないようにする為』に一番必要なのは…
個、ありのまま、それらの他者との違い、他者が異なること。
それらを容認でき、違った在り方を他者へ求めるのではなく、それごと愛し慈しむ、『許容』できる、『懐の深さ』だ。
神国で既に常々実践されており、神国の民として常とされている。
全てが、己と違う。
我慢できないものも皆違う。
やりたいことも、やり方も、在りたい形も皆異なる。
だからこそ、それに触れるからこそ、得られるものは多く…同じものと触れるのよりも、大いにある。
他者には他者の譲れないもの、違う道がある。
