第13章 鬼と豆まき《弐》
『唄を忘れたかなりやは、柳の鞭でぶちましょか♪いえいえ、それはかわいそう♪』
柚霧の歌声とは違い、温かく優しい歌声でいつも寝る間際に聴かせてくれていた。
その声を聴くだけで、いつも温かい微睡みに誘われていた。
柚霧にとっては、何よりも優しい姉がくれた子守唄だ。
「唄を忘れたかなりやは〜象牙(ぞうげ)の船に、銀の櫂(かい)」
からりころりと下駄を鳴らし夜の花街を歩く。
ただの買い出しだと言うのに、その顔には薄らと笑みを浮かべて。
「月夜の海に浮かべれば〜…忘れた唄を、思い出す」
見上げた月夜に思いを馳せるように、柚霧は月房屋では一度も見せなかった笑みを弾ませた。
(もう少しで借金の返済も終わる。今日と明日ひと踏ん張りしたら、一先ず週末に姉さんの所へ帰ろう)
松風の予想とは裏腹に、着実に柚霧が抱えた借金は減っていた。
羽振りの良い客を抱えたからではない。
その客達から貰える金品も、己の給料となる金銭も、全てを借金返済に注ぎ込んだからだ。
二ヶ月単位で寝泊まりしていた月房屋の身売り業。
其処で口にするものはほとんど水ばかりで、ぎりぎりまで自身の生活費を削った。
睡眠も後に回して毎夜身を粉にして働き、家との往復を繰り返す。
そんな日々を何年も続けた。
姉の薬代と生活費には苦労したが、先に借金返済を終えるまで耐え切ると言い切った姉のお陰で、山のように積み上げられていた借金にも底は見えてきた。
姉と二人で協力して、見えてきた光。
だからこそ体は疲弊しても心は弾むのだ。
「オイ」
そんな柚霧の空気に似つかわしくない、低い声。
明るい顔で月夜を見上げる柚霧を真正面から睨んでいたのは、後を付いてきていた実弥だった。
「いつまでこんなもん見せるつもりだァ」
至近距離から睨みを利かせても、柚霧はまるで気付いていない。
始めから其処には誰もいないかのように振る舞う彼女に、実弥は苛立ち舌打ちをした。