第37章 遊郭へ
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「柚霧」
年を重ねた威圧ある声。
その呼び声に、柚霧と呼ばれた女が振り返った。
「はい。なんでしょう女将さん」
透き通るような白い肌に造形された、化粧もしていないのに目を惹き付けて止まない顔。
黙っていれば彫刻のようで、感情が吹き込まれれば花を咲かす。
やんわりと笑みを作り返す柚霧に、女将と呼ばれた女はひくりと口角を震わせた。
「なんでしょうじゃないよッ何度も言っているだろう!」
荒々しく歩み寄り、掴みかかるように手を伸ばす。
その手が引っさらったのは華奢な腕──ではなく。
「お前は花魁なんだ! 店の準備なんてしなくていいって何度言ったらわかるんだい!」
せっせとその手で廊下を磨く雑巾だった。
「でもここは私の部屋の前ですし。見栄えよくする為に自分で磨いても問題ないでしょう?」
「そんなことは禿にやらせな。付けただろう、禿を二人!」
「あの子達は今、食事中です」
「食事ぃ? そんなもんとっくに済ませて」
「ません。いつも飲み込むように食べているから、帯がきつくて苦しそうにしているんです。だからしっかり噛んでから飲み込むように教えました。すぐに実践してくれています、覚えが良い子達ですね」
「いや…食事の仕方じゃなくて、あんたが教えるのは遊女としての」
「何を言うんですか女将さん。遊女こそ食事が大切でしょう。体力・気力・精神力。これらは花魁になる為に欠かせないものです」
「それを言うなら美貌と芸事と教養じゃ」
「美しくなる為には健康的な体作りが必要です。化粧で塗ったくっても、質の良い肌には負けます。体力作りは資本」
「う。」
「芸事にはそれこそ気力が必要です。練習を積み重ねてこそ繊細な舞ができるようになる。女将さんのように」
「それ、は。」
「教養なんて正に精神力。正しき知識は、正しき精神に宿る。悪知恵だけ働かせる女になんて男は靡きません。自分色に染めたくなる真っ当で真っ白な女を求めるんです」
「いや、まぁ。」
ぴしりと背を伸ばし、三本指を立ててはきはきと告げる姿は遊女というよりも、どこぞの寺子屋の教師のようだ。
それでも口にしているのは夜の金魚となる為の三本柱。
それもまぁ納得いくようなものだから、女将の声も尻すぼみしてしまう。