第37章 遊郭へ
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〝──荻本屋(おぎもとや)に世にも美しい花魁がいる〟
そんな噂がまことしやかに流れるようになったのは、つい最近のことだ。
一度その姿を拝めば他の遊女は目に入らなくなるだとか。
あれは正しく下界に降りてきた天女とも言える美貌だとか。
あまりに現実離れした噂はただの噂だとも一蹴されたが、此処は色欲の街・吉原遊郭。
ぜひ一度この目にしたいと男達は殺到した。
更にその花魁は、急に現れたにも関わらず一般的な遊女が男達に品定めされる為の部屋──張見世(はりみせ)で待機はしない。
最高位である花魁らしく個室を持ち、選ばれた男だけがその部屋へと通る権利を持つ。
故に一層謎が深まり、噂にも尾鰭がついた。
花魁の接客は品を備え、低俗なものは遠ざける。
故にその肌は見えれど、秘めたる奥まで暴けた男はいない。
その身を全て己のものにできる男だけが、天女の化身である女を伴侶に選ぶことができるのだと。
色と欲しか無い街で、随分と浮世離れした話だ。
「それでもそんな女が本当にいるのなら、一度は見てみたいって思うのが男の哀しい性だよなぁ」
荻本屋の屋根上で胡坐を掻き、頬杖をついて空を見上げた天元がぼやく。
荻本屋を選んだのは蛍自身だ。
雛鶴達が潜入していた店は三店舗あったが、ときと屋には"鯉夏(こいなつ)花魁"。京極屋(きょうごくや)には"蕨姫(わらびひめ)花魁"。
それぞれに名を馳せる最高位の花魁がいる。
故に花形花魁のいない荻本屋を選んだのだ。
『そこなら名を上げるのも、他より容易いだろうしね』
「たった数週間で個室を持つ花魁に成り上がんのは、容易いって次元じゃねぇけどよ…」
確かに天女と称するには惜しみない顔で笑い返していた蛍を思い出す。
遊女が花魁となるには、容姿だけでは成り立たない。
美貌・教養・芸事。全てを身に付けてこそ特別な花魁になれるのだ。