第28章 それゆけ、謙信様!*遁走編*
「さあ、観念して俺と来い」
「それは、出来ません」
ゆらりと足を踏み出した光秀が、ゆっくりと桜の方へ近づいてくる。伸ばされた手を取ることなく、拳を胸元で握りしめたまま光秀を睨むように見ても、その表情に変化はない。
「相変わらず強情な娘だな。あの男を何故そんなに好きになったんだ」
「何故、と言われても・・・」
楽しそうに笑う光秀に問われて、桜は考え込んでしまった。出会いは最悪だったし、すぐに刀は振るうし、信長様以上に無茶苦茶だし。
その無茶苦茶に付き合わされている内に、その瞳で見てほしいと思うようになった。もっと話をしたいと、笑ってほしいと思うようになった。
「気がついたら、好きでした」
「…そうか」
凛と顔を上げてそう告げた桜に、光秀がくすりと笑った。
同時に、桜の背後から短い口笛が響く。新たな追手かと、振り向いた桜の肩に手を置いて笑っているのは、信玄だった。
「どうしてここに」
「困っている姫のためなら、俺はどこにでも現れるのさ」
キザな台詞をさらりと言ってのけると、信玄は桜の背中を押す。自分は光秀と対峙しながら、ためらう桜を振り向いて、悪戯っぽく目配せしてみせる。
「春日山でまた会おう、桜」
「ありがとうございます…っ」
二人の脇を、走り抜ける。その瞬間、光秀の声が桜の耳へ届いた。
「元気でな、桜」
振り向いた時には既に、二人は剣を交えていて。桜は歯を食いしばってその場を離れる。
「…いきなりお前が出てくるとはな」
「それはお互い様だろ?まさか信長の左腕が一番手とはな」
つばぜりあったまま二人はにやりと笑いあって、互いの刀を弾いて距離をとる。
「いいのか?姫を行かせて」
「いいんじゃないか」
あっけらかんとそう言って、光秀は肩を竦めた。