第28章 【幕間】神田/月影の楽園 後編
「っ……!」
私は息を呑む。
「ティファ、離れろ!」
神田の声が響く。
ほぼ同時だった。
男の身体へ、黒いペンタクルが浮かび上がる。
AKUMAの毒だ。
私は咄嗟に手を離し、後退った。
男の身体が床へ崩れ落ちる。
指先から。
腕から。
肩から。
ぼろぼろと、黒い灰へ変わっていく。
「……っ」
間に合わなかった。
すぐ目の前にいたのに。
助けることが出来なかった。
その事実だけが、重く胸へ沈む。
けれど。
さっき流れ込んできた光景が、頭の奥へ残っていた。
赤いヴェールの女は、最初からあの人に同じ姿で見えていたわけではない。
彼の中にある、大切な誰かの姿へ変わっていた。
――そういうこと。
このAKUMAは、人の中に残る“置いていった”“置いていかれた”記憶へ触れ、その傷に残る声を借りている。
だから。
神田の中からも、あの呼び名を引きずり出した。
――ユウ。
その時。
「――ユウ」
また、女の声がした。
今度は、すぐ近くで。
神田の肩が、僅かに強張った。
私は反射的に窓の外を見る。
向かいの建物の屋根。
月明かりの下で、赤いヴェールが揺れていた。
サフィア。
彼女は神田を見つめたまま、ゆっくり笑う。
――可哀想。
掠れた声だけを残し、サフィアの姿は夜の闇へ溶けるように消えた。
割れた窓から、冷たい風が吹き込んでくる。
私は小さく呼吸を整えながら、窓の外を見つめた。
もう、彼女の姿はない。
残っているのは、微かなAKUMAの残滓と、鈴の音の余韻だけ。
「……クソ」
低い舌打ちが落ちた。
神田は窓際へ立ったまま、じっと夜の街を睨んでいた。六幻を握る手へ、僅かに力が入っている。
その横顔は、いつも以上に鋭い。
けれど、その視線の奥に何があるのか、私には分からなかった。