第29章 「善意の逆理 Ⅱ**」
そう。
これでいいんだ。
自分で選んだ。
自分で……。
「……分かってるよ、悠蓮」
ガラスの向こうの黒い瞳が、じわりと翠色に染まっていく。
「薬を飲んだことも。……全部、決まっていたんでしょ?」
自分で選んだと思っていたことすら。
本当は、逃れられない運命の一つに過ぎなくて。
「ちゃんと、『あらや』の底で見たから」
深い、深い場所。
そこで見てしまった、どうしようもない真実。
悠蓮の記憶も。
過去も。
運命も。
感情も。
全て、私の中に流れ込んできた。
窓ガラスに額を押し付けると、ガラスの冷たさが火照った肌には心地よかった。
「私、悠蓮のふり……ちゃんとできたかな?」
あんなふうに笑って。
あんなふうに、先生を挑発して。
あんなふうに、先生を突き放して。
でも、あれは本当に“ふり”だったのかな。
窓ガラスに映る翠色の瞳が、ゆらりと揺れた。
「うん。先生は、すぐ気づくと思う」
あの人は最強だから。
私のちょっとした嘘も、隠し事も、きっとすぐに見抜いてしまう。
私が何を抱え込んでしまったのかも、全部。
だから。
気づかれる前に――。
「……でも……っ」
視界がぼやけて、ガラスに映る翠色の瞳が歪む。
「でも、まだ……」
ぽたり、と。
一粒、涙が頬を伝った。
「もう少しだけ……」
先生の腕の中にいた温かさが、まだ身体に残っている。
何度も名前を呼んでくれた声が、まだ耳に残っている。
だからせめて。
その日が来るまでは。
何も知らないふりをして、先生の隣で笑っていたい。
「もう少しだけ……今の私で、いさせて……っ」
ただ、それだけなのに。
その願いすら、今の私にはひどく遠いものに思えて。
私は窓に額を押しつけたまま、声を殺して泣き続けた。
冷たいガラスを伝う涙が、ぽたり、ぽたりと落ちていく。
明日が来れば、またちゃんと笑おう。
何も知らない「」のふりをして。
大好きな人の隣で。
いつも通りに。
「先生、大好きだよ」
翠色に染まった瞳から、とめどなく涙があふれる。
音のない涙が、夜の闇へとこぼれ落ちていった。
✦ 第29章 了 ✦