第9章 かぐや姫の物語
いつも通り朝の九時半ぴったりに玄関のドアが開くと、七海が姿を現した。
靴を揃えて居間に入ってきた七海だったが、目の前に立っていた恵の姿を捉えた瞬間、ぴたりと足を止めた。
そして眼鏡の奥の瞳をすっと細めると何かに気づいた表情をし、七海は無言のまま携帯電話を取り出すと、迷いなく耳元へと宛てた。
「…五条さん。今すぐこちらに来ていただけますか。それと、伏黒くんを直ちに現場へ出す許可を」
電話の向こうで五条が何かを答えているらしく、七海は「ええ」「はい」と何度か短く相槌を打つ。そして通話を切ると、そのまま恵へと向き直った。
「では、そういうことですので伏黒くん。私の仕事についてきてくださいますか」
「え…俺、まだ正式な高専生でもないですけど」
突然の指名に眉をひそめる恵に対し、七海は一切の容赦がない冷静な声で言い放つ。
「今回は特別に許可が下りました。早く、その呪力、消費してください」
それは、昨晩恵と香久夜が何をしたのかを完全に見透かした発言だった。
「香久夜さん。五条さんがすぐに来ますから、それまで参考書を進めて待っていてください」
そう言い残し、七海は恵を促すようにして、逃げる余裕すら与えずに家を後にした。
二人を見送り、静まり返った部屋に一人取り残された香久夜は、気まずさと動揺を誤魔化すように机に向かい、参考書を開いた。けれど、昨夜の恵の体温や七海の言葉が頭から離れず、一向に文字が頭に入ってこない。
その時だった。
「——〜」
「…え!?」
すぐ後ろから不意に明るい声がして、香久夜は勢いよく振り返った。
「五条先生…!」
「久しぶり〜、元気にしてた?」
いつの間にか部屋の中に立ちつくしていた五条は、悪びれる様子もなくニッと笑うと、香久夜の頭に手を乗せて髪をわしゃわしゃと乱暴に撫で回した。そのまま目の前でしゃがみ込むと、香久夜の両頬を大きな手でむにっと掴み、右から左へと顔を動かしてじっくり観察し始める。
「んっ…ごじょ、せんせ…?」
さらにふざけた調子のまま、香久夜の口元へと両手を伸ばすと、あぐっと口の中まで覗き込んできた。
(…うん、外傷はなさそうだね)
七海から大体の状況報告を聞いていた五条は、目隠しの奥で呆れたように笑いつつも、どこか困ったように眉を八の字に下げていた。