第8章 姫の呪い
その日から、香久夜の学生としての生活が始まった。人生初めての勉強に、香久夜は密かに心を躍らせていた。
母が生きていた頃までの学習は、基本的には森の食材、自然、天気のこと、キッチンでの動き方など、生きていくためのものだった。その中でも読書は彼女が1番好きだったもので、読み書きも母に教わり7歳頃には漢字も一通りは読めるようになっていたという。
日当たりの良いリビングの大きな文机。その上に並べられた新品のノートや参考書を、香久夜は愛おしそうに指先で撫でた。
「…では、始めましょうか」
向かい側に座った七海建人は、眼鏡の位置を静かに直すと、万年筆のキャップを外した。
「あなたの読解力や語彙力は、年齢の割に非常に高い。ですが、知識が『生存のための経験』に偏っています。まずは現代社会の基礎知識、そして語彙の正しい文脈を整理していきますよ」
「はいっ、七海さん……!」
緊張で背筋をピンと伸ばす香久夜に、七海の指導は驚くほど丁寧で、かつどこまでも整然としていた。声を荒らげることもなく、彼女の理解度を確かめながら一歩ずつ進めていく。
「……例えば、この『呪』という漢字。口と兄いうパーツで成り立っています。神に祈りを捧げる言葉を発する人を模した形です。言葉には力が宿る。だからこそ、自分の発する言葉、そして自分の体質について、正しく知り、正しく言葉を選ぶことが必要なのです」
「言葉に、力…」
漢字の成り立ちなんて、意識せずに読んでいたものに、その起源を見る。それは、香久夜の心に、小さな灯りを点けていくようだった。
「そうです。あなたが今まで知らなかった世界を、言葉を、学びなさい。知識は、あなた自身を守るための揺るぎない武器になります」
七海は厳格な視線のまま、けれどどこか温かみのある手つきで香久夜のノートに丸をつけていく。
その反対側では、どこか気まずそうに腕を組み、不機嫌そうな顔で文机の端に座っている少年がいた。
五条に頼まれ、香久夜の護衛兼実技の補助としてこの隠れ家に滞在している伏黒恵だ。
「…伏黒くん。あなたは数学や化学は得意ですが、国語が苦手ですね。彼女と真逆だ。
お互いを補填し合ういい関係でしょう。教え合いは学習の近道。私が来れない時はお互いに勉強を教え合ってください。」