愛慾の鎖ーInvisible chainー【気象系BL】
第12章 以毒制毒
長身の男がゆっくりと首だけで振り返った。
かっと開いた目は血走り、額には無数の汗の粒が浮かんでいる。
そして、血の気の失せた唇が二、三度かくかくと震えたかと思うと、
「さ‥わ‥、何故(なにゆえ)お前‥が‥!‥ぐはっ‥!」
地獄の底を這うような声を上げ、血反吐を吐きかくりとその場に膝を着いた。
「ひっ‥!」
響き(どよめき)は何時しか悲鳴に変わり、突如として起きた惨劇に、我先にと逃げ惑う人々‥
その中で、僕だけが‥いや、僕達だけが、まるで時を止めてしまったかのように動けずにいた。
「だ、誰か‥っ‥、お医者様を‥っ!」
最初に声を発したのは翔君だった。
血溜まりの中に蹲る男に駆け寄り、今日のために誂えられた背広が血に濡れることも厭わず、長身の男を胸に抱き寄せた。
「父様っ、父様…!」
翔君の悲痛とも言える叫びが響く。
その声に突き動かされるかのように、潤が辺りに目配せをすると、包丁を手に立ち尽くす澤を指さした。
「何をしている、早くこの女を取り押さえろ!」
そしてすぐ様駆けつけた使用人が、数人がかりで澤を取り押さえた。
何が‥起きているの‥?
どうしてこんなことに‥?
目の前で起きた惨劇に、身体をがくがくと震わせる僕を、和也の細い腕が強く抱き留める。
でもその和也の顔だってすっかり血の色を無くしていて‥
「智、和也もこちらへ‥」
騒然とする隙をついて駆け寄った雅紀さんが、僕と和也を纏めて立ち上がらせると、人目につかないように気を配りながら、広間の外へと連れ出した。
「一先ず翔君の部屋へ‥」
「は‥い‥」
雅紀さんと和也に支えられ、どうにか階段を上り終えた僕は、やはり二人に支えられ翔君の部屋の寝台の端へと腰を下ろした。
「いいかい、私は広間の様子を見てくるから、二人はここにいるように。いいね?」
「はい‥」
「それから、私が出たら内から鍵をかけるんだ。私か翔君以外の誰が来ても、開けないように。分かったかい?」
言葉を発することすら出来ない僕の代わりに、和也が頷いて答えた。