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いろはに鬼と ちりぬるを【鬼滅の刃】

第32章 夜もすがら 契りしことを 忘れずは



 まるで時が止まったようだった。
 今度こそ本当に時間を置き去りにして、杏寿郎は三つ指を揃える蛍を見つめた。


「…なん、て」


 反応のない杏寿郎に、そわりと不安を顔に出した蛍が苦く笑う。
 瞬間、微動だにしなかった足は弾けるように踏み出していた。

 畳の縁を越え、布団を跨いで、三つ指を上げて手持ち無沙汰に頭に触れようとした手首を掴む。


「すまない遅れた」


 同じに目線を下げて、目の前で膝をつく。


「まだ間に合うなら、この手を離さないと誓う」


 触れることすら一瞬躊躇した、色鮮やかな真白の花々に埋もれる蛍の姿を抱き寄せて。


「だからもう一度呼んでくれ」


 手首を握った掌を肌に這わせると、細い指を絡めるように握り返した。


「俺の奥さん」


 愛おしさが口に出るとはこのことか。

 息継ぎ一つ、瞬き一つ、伝わる肌の体温でさえも愛おしい。
 片腕で抱き寄せた蛍を間近に見つめ、薄紅色を纏う唇を優しく催促した。

 もう一度その名を呼んで貰えたなら、今度は見逃したりしない。

 真綿のように優しく、しかし逃すことのない視線が蛍を捉える。
 その熱い双眸に促されるまま、蛍はふるりと薄紅色の唇を震わせた。


「旦那、さま」


 先程より拙い声で紡ぐ呼び名。
 たった数文字の名だ。
 なのにこれ程までに胸を見たす名を早々知らない。


「もう一度」

「…旦那さま」

「もっと」

「旦那、様」

「蛍」


 愛の言葉のようにも聞こえる囁きに、誘われるなという方が無理な話だった。
 淡い唇が紡ぐ度、触れる口付けを落としていく。


「俺の蛍」


 正真正銘、今此処にいる彼女は他の誰でもない自分のものなのだ。
 証明する者などおらずとも、それだけは確かな事実。


「蛍。…ほたる。愛してる」

「ん…私、も…愛してる…」


 囁いては想いを混ぜて、体温を分かち合い、心を互いに溶かしていく。
 唇が触れ合う度に、愛おしさが増していくようだった。

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