第23章 もの思へば 沢の蛍も 我が身より✔
「っ…もっと、呼んで下さい。名前」
「柚霧」
「もっと…触れて下さい」
「こうか?」
「もっと」
「うん?」
「もっと、杏寿郎さんが欲しい、です」
頬を撫でる掌を握ると、指先に口付けを落とす。
──くちゅり
赤い紅を乗せた唇を開いて、指先を甘く歯む。
口付けては、甘噛みし、柔く吸う。
その合間に、そろりと上目に乞うてくるのだ。
くらりと頭が沸騰しそうな色気は、蛍にはない。柚霧だけが魅せる甘さだ。
吸い込む空気さえ甘く蕩けるような気配に、思わず「よもや」と口内で呟く。
「柚霧…君に消えてほしくはないが、その甘えは俺の前でだけだ。いいな?」
もう一度、柚霧の顎を掬い上げる。
今度は逃がす隙間もない力で。
余りにも真剣な表情で諭してくる杏寿郎は、鍛錬で向き合う時の師のような空気も持ち合わせていて。
「…私は、杏寿郎さんだけの金魚ですから」
獣の片鱗を見せる杏寿郎に、紅一匁の唇が食らい付かれる──その間際。
柚霧は迎え入れるように、柔い吐息をついて微笑んだ。
甘い甘い束縛に。
感じてしまうのは、どうしようもない幸福感だけで。
甘く、柔く。
夢心地のような、微睡みの渦だった。
愛を囁いては、呼応して。
名を紡いでは、高め合い。
頭から足の先まで、色欲に溺れて互いだけを求め合った。
最後は無し崩すように、そのまま泥のような睡魔へと渦を巻き二人で落ちていった。
「──…ん…」
深い深い、夢を見ることもない眠りから引き上げたのは、聞いたことのあるような、ないような声。
「唄を──…かなりや──…後の──…しょか」
ゆっくりと瞼を開く。
杏寿郎の視界に入り込んだのは、見慣れない鮮やかな世界。
金粉を散らしたような煌びやかな布団。
見事な流水紋で彩られたふすま障子。
鶴が二羽、寄り添うように舞う掛け軸。
趣のある花瓶の生け花に、灯りの消えた角形行灯。
見渡すように頭を上げれば、其処が柚霧と一夜を共にした部屋であることを思い出した。