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【H×H イルミ 】黒と白のアリア 

第4章 残響に沈む


今にも崩れ落ちそうな古いホールの片隅で、楽器の修理屋として細々と暮らしていた実家を思い出す。 

風の通り抜ける部屋には、壊れたヴァイオリンやリュートが所狭しと積まれ、家族の寝床は奥の湿った一室だけ。
母はいつも咳に苦しみ、ニナ自身も冷えた夜には胸が痛むほど咳き込んでいた。
あの頃の湿気とカビの匂い、隙間風の冷たさ、暗い部屋。


ここで与えられた部屋は、素朴ながらも整った少女らしい空間だった。
木製のベッドには柔らかな毛布が掛けられ、窓辺にはキキョウ夫人から貰った象牙の櫛と、バラの香油が入った小さなガラス瓶が大切に置かれている。
壁にはシンプルな刺繍の掛布が飾られ、床には柔らかい羊毛の敷物。

屋敷の粗末なこの一室はニナにとっては小さな聖域だった。

日が暮れればこの部屋で、窓を少し開けて静かに過ごす時間が好きだった。


それなのに——
心なしか体が熱い。
喉が渇いて、舌がからからに張り付く。
でも、お茶を沸かす時間すら惜しかった。

イルミに「明日までに」と渡された楽譜は、まだ半分も写せていない。

「……音楽なんて、わからないわ……こんな難しいこと……」

ページをめくる手が、どんどん遅くなる。
音符が二重に見え、蝋燭の炎が揺れるたびに歪んでゆらゆらと踊る。
ニナは小さく息を吐き、羽根ペンを握る指に力を込めた。
指先はインクで黒く汚れていた。

(……こんなに胸がざわつくのはなぜ……)

美しい音楽に包まれ、厳しくも優しい夫人に守られ、キルアの笑顔に癒されるこの生活を掻き乱されたくない。何も考えなくても完全なこの生活を。

蝋燭の炎が長く伸び、溶けた蝋が机の上にぽたりと落ちた。

ニナは唇を噛み、震える手で再びペンを動かし始めた。

外では、夜の風が石の壁を撫で、遠くでヴァイオリンの音色が伸びる。

すっと、夜気を裂くような音。

頭の中で、夕べのフレーズと重なる。

ペンが手から滑り落ち、ニナは机に突っ伏した。
乾き切らないインクが紙の上に滲む。それでも、顔を上げられない。


音だけが、やけに近くで鳴っていた。
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