第9章 名前に込めた想い
「……想花って」
ふいに、轟くんが私の名前を、ぽつりと口にした。
紅茶を置いた彼の声は、いつもより少しだけ低くて、
けれど、どこか迷うような色を含んでいた。
「俺も……そう呼んでもいいか」
静かな部屋に響くその問いに、胸がきゅっとなった。
『……えっ』
思わず顔を上げると、轟くんは私を真っすぐに見ていた。
その瞳には、からかいも飾り気も何ひとつなくて――ただ、誠実な熱だけが宿っていた。
「呼び方が変わると、距離も変わる気がするから。
……俺も、おまえと、ちゃんと近くにいたいんだと思う」
静かな言葉だった。
でも、ひとつひとつが胸に響いて、心の奥にそっと灯るようで。
『……うん。いいよ』
私が小さく頷くと、彼の表情がふっとやわらいだ。
「……ありがとう、想花」
たったそれだけのやりとりなのに。
心の奥がふわっと熱くなっていくのがわかる。
『じゃあ……私も、轟くんのこと、名前で呼んでいい?』
そう尋ねると、彼は少しだけ驚いたように目を瞬かせて、
そのあと、ほんのり照れたように頷いた。
「……ああ。嬉しい」
その声が、すごく、優しかった。
紅茶の香りがまだ残るカップの縁ごしに、目が合って、
どちらともなく、ふっと笑いあう。
ほんの少しだけ甘くて、
けれどあたたかくて、じんわりと胸に広がる空気。
──この時間が、ずっと続けばいいのに。
そう思ってしまうほど、静かで、穏やかな、ふたりの放課後だった。