第2章 寮の怪異事件
「……ったく、人騒がせな……」
伏黒は低く舌打ちをして、香久夜が勝手に部屋に戻っていたことを確認するや否や、寮の廊下を無言で歩いた。
パンダと狗巻が「まぁまぁ」と言ってなだめていたが、伏黒の表情は暗いままだった。
呪霊がうろついてらかもしれないのに、
彼女は一人きりになった。
それだけでも問題だ。
でも一番の問題は、
(……なんで、俺が気づけなかったんだ)
あのときの表情。
俺が隣で寝ていたら逃げ出したのも気づけたんじゃないか。
全部、ちゃんと見ていたはずなのに。
それでも、行動に移せなかった自分が情けなかった。
その時──ふと、前方からのんびりとした足音が近づいてくる。
「あ、メグミーン。おはよ」
あのいつもの調子で、五条が手をひらひらと振っていた。
伏黒は顔をしかめる。
「……あんた、帰ってくるの、早いですね。」
「んー? やることあってね。」
五条は目元を隠したサングラスの奥で、意味深に笑った。
「まぁ、ちゃん、戻ってよかったねー。
あの子、なーんか危ういからな、ね?」
「……知ってたんですか」
「なにを?」
「逃げたこと」
「んー……“ちょっとだけ外の空気が吸いたくなった”って顔してたね。よくあるでしょ、そういうの」
ごまかすように笑いながら、五条はポケットから丸めた紙を取り出した。
「これ。今日の訓練スケジュール。にも渡しといてくれる?」
「……自分で渡せばいいじゃないですか」
「んー、今ちょっと、あの子に甘くしたらダメな気がしててさ」
伏黒は言葉を飲み込んだ。
この人は、わかっている。
彼女が“逃げた”ことも、それを自分がどれだけ気にしているかも。
「大丈夫だよ」
不意に、五条の声が低くなった。
「ちゃんと、手綱は握ってる。……壊れないように、ね」
伏黒が顔を上げると、もう五条は背を向けて歩き出していた。
紙を見下ろすと、そこには簡単なメモ書きがあった。
──午前十時、道場。
「制御する力をつけて、自分で戦えるようになろう」
伏黒はその一文を見て、静かに息を吐いた。
そして香久夜の部屋のドアをノックする。
「おい。いるか。……訓練の時間だ」