第2章 夜を忍ぶ
謙信「それ以上言うな。お前に何がわかるというのだ。
伊勢は誰にも看取られず一人で死んでいったのだ。あいつの心がどうであったかなど知る由もない!」
謙信様が今にも斬りかかってきそうな勢いだったけれど、不思議と動じなかった。
傷に触れられ牙をむいている。それが今の謙信様だ。
「ええ。おっしゃるとおりです。伊勢姫様がどのような思いで亡くなったのかは誰も知りません。
伊勢姫様が死の瞬間に『謙信様に出会ったから、こんな不幸な道を歩むはめになった』と思ったかどうか…それは誰にもわかりません」
謙信「……」
「謙信様はご自分に関わったから不幸にしてしまったと思っているかもしれませんが、伊勢姫がどう捉えたかはわかりません、ということです。
でも信じてあげないのですか?私だったら、悲しいです」
謙信「なんのことだ?」
「伊勢姫様のことです。謙信様が愛した人ですよ?今わの際に恨み言を呟くような方でしたか?
愛する人にそう思われたと知ったら、私なら悲しいです。
『私はあなたに恨み言を残して死ぬような人間じゃないです!』ってね。
誤解が解けるまで、夢枕にたってしまいそうです」
謙信様が不機嫌そうに顔を歪め、低い声で抗議してきた。
立てた片膝に顎をのせ怒りの視線をこちらに送ってくる。
謙信「伊勢はそんな女ではない。乱世に不似合いな、どこか儚げな印象がある女だったが、人を憎み、恨み言を言うような女ではなかった。
ましてお前のように夢枕で何か訴えてくるような真似は絶対しない」
夢枕の件(くだり)のあたりで、謙信様の目が据わったけど気にしない。
なんとなく謙信様の悲壮感が薄れた気がしたから。
「ふふ、わかってるじゃないですか。伊勢姫様がそんな人じゃないって。
幸せか、そうじゃないかなんて考え方1つで変わります。
伊勢姫様自身、幸せかそうでないか…それは本人の考え方です。
あの時こうすれば良かった、あの時あれをしなければ良かったと思い返して後悔するのは仕方ないと思います。
でも謙信様に関わった人が必ず不幸になるなんて、おっしゃらないでください。その言葉は謙信様自身を縛り付ける鎖になってしまいます」
縛り付けたら動けなくなる。
1つの考えに囚われるのが悪いわけじゃないけど、謙信様の鎖はあまりにもきつく自身を縛り付けている。