第19章 響箭の軍配 弐
「僭越ながら、面白がっている場合ではないかと存じますが…」
「そう急くな九兵衛。敵方の奇襲は予測の通りだ」
「信長様が率いられる本隊を回り込みつつ進んでおりますね。四半刻後には麓まで辿り着く事でしょう。やはり、敵方は後方部隊の位置をある程度絞り込んでいたようですが…」
光秀達が控えている場所からは、平野での動向はまるで筒抜けだ。織田軍とは異なる旗印を掲げた一団が本隊を迂回し、真っ直ぐに麓へやって来ている事を確認すると、九兵衛が少なからず怪訝な面持ちでその動きを視線で追っている。奇襲部隊の目的は信長が敷いた本陣か、あるいは。
九兵衛の呟きを耳にし、光秀はふと口元から笑みを消し去った。鋭利な眼差しで眼下を見回し、どうやら訪れていないらしい存在に安堵に似た感情を覚え、一度瞼を伏せる。
やがて背後を振り返った光秀は、自身に付き従う鉄砲部隊と一部の足軽達を流し見やり、やがて口角をそっと持ち上げた。
「さて、我々もそろそろ向かうとしよう」
─────────────…
─────一方、信長が奮戦(振り)し、光秀が動き出す少し前。
後方の陣営では忙しなく準備や負傷者の手当てが行われていた。奮戦の素振りを見せているとて、信長の軍にも多少なりの被害は出ている。幸い、致命傷となる者は未だ出てはいないが、矢傷や刀傷、打撲など、様々な症状の者達が、やって来ていた。
朝方付近にはあまり多くなかった負傷者だが、時間が経つにつれて疲労が見え始めた事もあり、その分油断や隙が生まれる事による負傷も数多い。
後方の陣が敷かれている場所と本隊が戦っている場所はそれなりに距離がある。その為、医療部隊の小隊が応急処置用の道具を持って麓付近に下り、そこで軽傷者などの処置を行っているのだ。重傷で動けない者は板に乗せて屈強な医療兵達が運び、自分で歩ける者は己の足でこの陣を目指す。軽い症状であった者はそのまま前線に戻るなど、様々な対応がなされていた。
「家康様!麓の小隊が戻りました」
「そう、重傷者は?」
「こちらに」
陣の入り口から麓に向かっていた医療部隊の小隊が戻り、運んで来た重傷者を天幕の中へと運んで行く。大きく斬られた二の腕の傷をすれ違い間際に目にし、凪は新しく湯を沸かす為、焚き火の上の大鍋へ継ぎ足し用である水桶を運んでいた。