第454章 蜜月
ばあさんが九月の連休(シルバーウィークと言うらしい)にフルムーン旅行とか言うのに行こうとパソコンで旅館を予約している。
私はそれを横目にお茶を飲む。
「なあ、ばあさん…
どこに行く気なんだ?」
「それは行ってのお楽しみよ」
私達が結婚した頃は、結婚式は内輪でささやかにやるだけで、ハネムーンなんて金持ちしか行けなかった。
ばあさんは多分ハネムーンの代わりにしようと考えているんだろう。
旅行当日、電車を乗り継ぎ、バスで目的地へ向かう。
山間の小さな温泉宿、どこか懐かしい感じのする旅館だ。
「いらっしゃいませ
お待ちしておりました」
女将が丁寧に挨拶し、部屋へ案内してくれた。
部屋の入り口には『玄月』と書かれている。
「女将、この玄月って言うのは?」
「旧暦の九月の事ですよ
奥様の希望でこのお部屋をご用意致しました」
「ばあさんの希望?」
私は首を傾げた。
部屋に入ると井草の良い香りがする。
小さな旅館だが、どこも質の良い物を使っている。
座卓の上には季節の果物が乗っている。
「良かったら御召し上がり下さい
特にこのシャインマスカットは近くの農家から今朝届いた物ですよ」
お茶受けにしては豪華だ。
女将が戻ってからばあさんに聞いてみた。
「何でこの部屋にしたんだ?」
「ここ、落ち着くでしょ?
景色も良いし…」
窓の外は、目の前に見事な日本庭園と奥には深緑の森が広がっていている。
温泉に浸かり疲れを取ると、夕食には地元の名産品がたくさん出てきた。
食事が終わると女将が…。
「これは縁側でお楽しみ下さい」
と、お盆を置いていった。
お盆にはおはぎと菊の花びらが浮いた酒が乗っている。
「さ、おじいさん
月を見ながら頂きましょ」
部屋の電気を消して、縁側に出ると庭園の月山の上に月が出ている。
満月ではないが、月明かりに浮かぶ庭園は悠久の時を感じさせる。
「ばあさんがここを選んだ理由が分かるよ
…ばあさんの瞳に乾杯だ」
私達は菊酒で乾杯して、この贅沢な風情を楽しんだ。
end