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千分の一話噺

第583章 黄昏時


会社の近くの公園付近に、夕方になるとやって来る屋台のおでん屋がある。
前から一度食べてみたいと思っていたが、仕事を終えて帰る8時頃にはもういない。
「あそこに屋台のおでん屋来るよね?」
「え?屋台のおでん屋?」
同僚に聞いても誰も知らなかった。

たまたま早く帰れる事があり寄ってみる事にした。
赤提灯がぶら下がり、おでんと書かれた暖簾に簡単なベンチがある。
赤提灯には屋号だろうか『西陽』と入っている。

暖簾を潜り…。
「こんばんは」
「いらっしゃい」
湯気の向こう、白髪の店主がいた。
「大根とがんもどきとゴボ巻きある?」
「…あいよ
飲み物は何にするんじゃ?」
「あ、ビールで…」
すぐに瓶ビールとコップ、それにおでんが出てきた。
「西陽って屋号なんですか?」
「営業は夕暮れだけじゃからな」
夕方だけの営業じゃあ、会社終わりにはいない訳だ。

「けど今時、屋台なんて珍しいですよね」
玉子と牛スジを追加した。
「そうじゃな、これは儂の最後にやりたかった事なんじゃよ」
そう言うと店主は寂しく微笑んだ。
「最後って…
こんなに美味いおでんは久しぶりですよ
夜も営業してほしいですね」
竹輪麸、じゃが芋、ゲソ巻きを追加した。

「そう言ってくれるのは嬉しいもんじゃな…
最後の最後で本当にお客さんが来てくれるとは思わなかったわい」
「えっ?お客さん来てないんですか?」
冬場におでん…、しかもこれだけ美味しければ繁盛してもおかしくないのに…?
「黄昏時の1時間しかここにはこれないんじゃよ
それも今日が最後…もう思い残す事もない…」
日没と同時に店主と屋台がスーッと消えていった。
「なっ?」
何が起きたのか把握出来なかった。

この日を最後にあの屋台を見る事はなかった。
後で先輩に聞いた話だが、その昔あの場所で屋台を始めた人がいたがすぐに心臓発作で亡くなったそうだ。
「思い残す事…か…
俺が最後の客で良かったのかな?」
あのおでんの味は忘れないだろう。


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