第9章 ヘイアン国
初めてマリオンは儀式の難しさと途方もなさに立ちすくむ思いだった。
無理に王を立てても、海神が気に入らなければ神官ごと食い散らされる。
侍女をいじめ殺し、父まで毒殺した噂のあるイナリなんかどうでもいいが、儀式が失敗すれば生贄が必要になる。
それでもまだマリオンは、兄なら最後には全部うまくやるだろうと、どこかで高をくくっていたのだ――。
「起きて、マリオン」
夜中にマルガリータが尋ねて来たのは、マダムを招いて歓迎の宴をした深夜のことだった。
「なに……?」
兄とも、双子の姉とも、マリオンは大して仲がいいとは言えなかった。マルガリータが部屋に来るなんてはじめてのことで、あまりに珍しさに雪でも降るかななんて考えた。
「様子が変なの。階下で爺様と父様が怒鳴ってる」
びっくりしてマリオンは布団から起き出した。
「マダムと?」
「違うわ。様子がおかしいからってマダムは私を起こしに来てくれたの」
マダムが客室に下がったのはマリオンも知っていた。様子を見てくると階段を降りると、確かに祖父と父が怒鳴り声を上げていた。
(誰か来てる? この声って――)
毒々しく甘い声には聞き覚えがあった。間違いなくこの国で一番の性悪女だ。
「別に難しいことは何もないでしょ。王として私を選べと言っているのよ。何ならタツオミと本当に結婚したっていいわ」
性悪女が見目の整った兄に色目を使っているのは知っていた。先祖代々の資産を浪費し、ハンサムな役者を侍らせてはただれた生活を送っている女など兄は相手にしない。それに焦れて直談判に来たようだった。
「お前なんぞを海神が認めるものか!!」
祖父の怒鳴り声。祖父も父もイナリを蛇蝎のごとく嫌っていた。おかげで頭の血管が切れそうなほどの怒りぶりだ。
「腹が満ちれば眠る獣が何だって言うのよ。エサなら用意してあげるわ。奴隷100人、これで儀式はつつがなく終わるはずよ。代わりに私に玉座をよこせばこの家も潰さないであげるわ」
外が騒がしくてイナリの声はよく聞こえなかった。こんな夜中に火事でも起きたのだろうか?
「恥を知れ、アバズレが――!!」
飛びかかった祖父が、次の瞬間、血を吹いて障子に叩きつけられた。とっさに口をふさいでマリオンは叫び声を殺した。
後ろから誰かに腕を引っ張られる。怖い顔をしたマダムだった。
