第37章 遊郭へ
新規の客だ。とだけ聞かされていた。
荻本屋の戸を潜ったのは初めての男だが、脇目もふらずに柚霧を指名したという。
花形花魁となった柚霧は、一見がおいそれと会える遊女ではない。
ならばと何度も足を運び、金銭を積み、ようやく部屋に通されたのだと。
「柚霧…?」
一見とは初めての客を示す。
それは柚霧にとっても同等で、初見の男であるはずだ。
「ああ…柚霧…ッ」
あるはず。だった。
「顔は違えどその目でわかる。お前のことは一日たりとも忘れたことはない…!」
震える両手を持ち上げ、這うように膝を畳みに据えて歩み寄ってくる。
男の歓喜に満ちた気迫に圧されるまま、蛍は体を硬直させた。
今の顔に、本来の自分の要素など一欠片もありはしない。
繋がりがあるとすればこの源氏名だけだが、柚霧などという名はどこにでもある遊女の名だ。
だから顔も骨格も変えた今、そこまで偽る必要はないと昔の名を使っていた。
「ようやく会えた…お前が死んだなどと俺は信じなかった…ッやはり間違っていなかったんだ」
なのに男は、声も発さず表情も変えない蛍を、あの日の柚霧だと見抜いていた。
廃れた部屋で一夜の金魚として働いていた。
あの月房屋の金魚だと。
「顔は…ああ、変えてしまったんだな…辛い事情があったんだろう…柚霧のあの顔が俺は好きだったんだが、今の顔も悪くない」
唇を結び、化粧の下で血の気を退く。
そんな柚霧の顔を両手で愛おしそうにそっと包むと、男は腹の底から湧き出る想いを吐露し続けた。
世間的に今の造形顔は、蛍の素の顔より美しいと称されるものだ。
それでも男はかつての柚霧の顔を思い出し、好いていたと告げる。
「どうした、声も失くしたのか? 荻本屋の看板花魁の声はそれはそれは琴の音のように美しいと評判が立っていたぞ」
「ッ…」
「もしや俺のことを忘れた訳ではないだろう? 柚霧」
上から被さるように覗き込む。
男のその柔い目が、緩やかな声が、背筋を凍らせる。
穏やかな問いかけは強迫でしかなくて、蛍は紅を乗せた唇を震わせた。
「せ…ぃち、さん」