第32章 夜もすがら 契りしことを 忘れずは
「…ぅ…けど…」
「うん?」
熱を帯びたままの視線が、揺らぐ。
力なく紡ぐ言葉は辿々しい。
優しく先の言葉を促すように語尾を上げれば、蛍の緋色の瞳の奥が──じわりと。赤みを増したような気がした。
「気持ち、い…けど…杏寿郎の、顔が…見えない…」
見上げる濡れた瞳が縋るように乞う。
「やらしい…姿、ばっかり…見えて…」
その目が、両手で顔を隠すように覆う蛍の手で隠れてしまう。
思わず魅入ってしまった。
その乞う瞳をもっと見ていたいと思ったのに、とつい顔が上がる。
それでも蛍の耳まで赤くした顔は隠れたまま、その顔の視線の先を辿って杏寿郎は納得した。
「…うぬ(あれか)」
同性同士の情事の際にも利用した、細長い鏡。
姿見には、布団でまぐあう二人の姿が映し出されている。
それだけならまだしも、狙ったような角度が悪かった。
蛍の視界に映るように立てられた鏡の中には、二人の結合部が晒されていた。
杏寿郎でさえも一瞬、顔に熱が灯ってしまうような赤裸々さだ。
体位を変えられない蛍の視界には、常にその様がちらついていたのかと思えば言葉も詰まる。
(俺も気付いていれば、また違った楽しみ方ができたかもしれないな…勿体無いことをした)
それでも蛍のこととなると余すことなく記憶に刻みたくなるのが杏寿郎の性だ。
自分も早くに鏡の存在に気付きたかったと肩を落とせば、抱いていた蛍の体が身動いだ。
「杏、寿郎…」
「ん、ああ。なら体勢を変えよう。蛍、動けるか?」
「…ちから、入らない…」
「う、む」
鬼も鬼殺隊も関係ない、ただ一人の女性であるかのように、ぽそぽそと甘えにも似た弱音を吐いてくる。
そんな蛍の姿に再び蜜璃の如く、胸がきゅんと疼く。
欲を吐き出したばかりだというのに、己の下半身の治まりがつかないのはその所為か。
言い訳は内心のみで、理性で思考を抑え付けながら杏寿郎は優しく笑った。
「では俺がしよう。一度抜くぞ」
「ん…っあ」
しとりと汗が馴染む腰を支え、ゆっくりと自身を引き抜く。