第27章 それゆけ、謙信様!*愛惜編*
底からせり上がってくるような、肌寒い朝の空気。そんなもの、今の桜には何の障害にもならない。市の店が開く時間を見計らって城から出て来た桜の息は白く、けれど体は火照っていた。
政宗から教えてもらった店まで来て、桜はやっと気が付いた。そこは桜が、大会前の仕事で訪れた店の一つ。さらに言えば、謙信との二回目の遭遇を果たした場所。
「謙信様、本当に梅干しが好きなんだ…」
開いて間もない店先を覗いてみる。梅干しと言っても、塩加減や漬かり具合によって様々な物があるようで。
「うーん…」
どれがいいのだろうと食い入るように見ていた桜の横に人が立った。
「どれでも大丈夫だ、あいつは梅干しならいいんだ」
「え…え!?」
桜が場所を譲ろうとしたところで、思いがけない助言が下りてくる。驚いて顔を上げれば、にっこりと余裕のある笑み。
「信玄様…」
「やあ、姫。こんな朝早くから君に会えるなんてついてる」
「ど、どうして私が謙信様に梅干しを贈るって…」
「あいつ、としか言ってないんだが、当たっちゃったかー」
飄々と笑う信玄に、桜は頬を染めた。こちらを見つめ続けるその視線に気づかないふりをして、適当に見繕ってから代金を支払う。
「せっかく会えた君を逢瀬に誘おうと思ったけど、その様子じゃ断られそうだな」
「すみません…」
「またの機会にするとしよう、姫。気を付けてな」
ぺこりと頭を下げる桜を気にする様子もなく、信玄は手をひらりと降る。小走りに駆けていくその背中が小さくなってから、漸く降っていた手を下ろした。
「妬けるな…」
苦笑交じりの呟きは、風と共に流れて消えた。