第36章 アイテム
「……ン」
頬をくすぐるしなやかな髪の感触に、黄瀬は重い瞼をのろのろと持ち上げた。
腕の中で眠る恋人の温もりを確かめて、大きな欠伸をひとつ。
「ふわぁ」
「あ〜、もう何やってんのよ」
暗がりに響く声に、寝ぼけまなこをゴシゴシと擦る。
「ア……レ?ひさしぶり、っスね」
「久しぶりじゃないわよ、まったく。せっかくアンタの誕生日だから帰ってきたのに、誰もいないし、おまけにこんなモノまで」
ひたりと頬を打つのは、おそらくソファに置いてきてしまった禁断のアイテム。
今は実家を出ている長姉の呆れたような声を浴びながら、徐々に覚醒する意識に黄瀬は指をピクリと動かした。
「そ……っか。オレ、あのまま寝ちゃって」
強情なネコを何度も鳴かせたせいで、さすがに体力を使い果たしてしまったようだ。
気怠い腰が、あれが夢でも妄想でもないことを告げている。
(結……可愛かったな)
「何、家族公認エッチなわけ?」
「……え、ヤバっ!」
黄瀬はベッドからするりと抜け出すと、ピクリともせず眠り続ける小さな頭を愛しそうに撫でた。
「ちょっと向こうむいててよ。服着るから」
「どうせ何も見えないわよ」
床に散らばった服を拾い上げ、手早く身につけると「彼女、疲れて寝てるから起こしたくないんスよ」と小声で姉の背中を押す。
避妊具の残骸を、見られるのもさすがに気まずい。
「疲れさせた元凶が何言ってんの」
「しーっ!」
部屋の外に出て扉を静かに閉めると、何か言いたげな姉に向かって、黄瀬はバツが悪そうに笑った。
「このことは出来れば内密に……結がスゲェ恥ずかしがるんスよ」
当たり前でしょ、と細い指を彩るネイルが容赦なく額を弾く。
「イテっ」
「結ちゃんっていうんだ?ちゃんと紹介してくれるんでしょうね」
モチロン、と親指を立てると、母親によく似た顔がかすかに笑った気がした。
「あと少しで帰ってくるらしいから、はやく起こしてあげなさい」
「ん。サンキュ」
(へぇ……)
じゃ、下にいるからと背中を向ける前に目に入った、ドアをそっと開ける弟の横顔は見たことがないほど穏やかで。
「あのコにあんな顔させるなんて、ね」
長い髪をさらりと翻し、階段を下りる姉の口許に浮かぶ微笑みは、弟のそれとよく似ていた。
end