第35章 デコレーション
「おめでとうございます」
キンと心地よく響く音。
合わさった細長いシャンパングラスの中で、重力に逆らった泡がキラキラと泳ぐ。
「ああ、有難う」
高層階の窓から見下ろすオフィス街に点々と灯る明かり。
おそらくまだ働いているであろう見ず知らずの人達に向けて、心の中で労いの言葉をつぶやくと、結は恋人の優しい笑みからそっと視線を外した。
薄いピンクのシャツの上に羽織ったジャケットは、ラフすぎない印象を与えるカチリとしたシルエット。
折り返した袖口から伸びるたくましい腕に似合う、大ぶりのダイバーズウォッチは、高校を卒業する時に恋人と一緒に選んだ思い出の品。
折り目の付いたベージュのチノパンにダークブラウンの革靴という装いは、その目立ちすぎる身長以外にも不思議な魅力を放って、周囲の視線を自然に引きつけていた。
(今日の木吉さん、なんかいつもと違う……)
Tシャツにジーンズという姿を見慣れているせいか、結は不自然にその視線を泳がせた。
「これで、俺もようやくハタチか。こうやって堂々と酒も飲めるし、選挙にも行けるってことだな」
「選挙権については、今いろいろと議論されてますからね。あと何年もしないうちに、年齢が引き下げられてるかもしれませんよ」
記念すべき日には似合わない、堅い話をしていることにも気づかずに、結は気を逸らせるようにシャンパンに口をつけた。
グラスの淵を拭う細い指先に、木吉はうっすらと目を細めた。
シンプルなものを好む彼女の今日の装いは、涼しげな空を写しとったかのようなシャツワンピース。
アップにした髪から惜しげもなく晒されたうなじを、さっきから男性店員がチラチラと見ている気がして、木吉はテーブルの上の指を落ち着かなげに叩いた。
カシュクール風に重なる胸元から覗く肌は、夏の陽射しに焼かれる前の白。
運ばれてきた料理に「おいしそう」と綻ぶ唇を纏う口紅は、ほんのりとした薄桃色。
(うまそうなのは、結だがな)
いただきますと律儀に手を合わせて、今日一番の笑顔を浮かべる彼女に、木吉もつられるように目尻を下げた。