第40章 疑心または月夜にて
それは今までで、一番平和で、一番つまらないトリップだった。
「ん……」
軽い眩暈を感じながら、目をひらく。
トリップ直後の体調の急変は、最初のころと比べるとはるかにマシになった。
それが素直に喜べない理由を、あまり考えたくはない。
体勢を直して顔をあげると、煤けて崩れ、鉄骨が突き出ている壁が目に入った。
それどころか、あたりを見回すと、まるで爆破されたかのように丸々派手に壊れている場所もある。
私は、中庭の見える廊下に立っていた。
どうやらここは、なにかの施設の中らしい。
思い出したように、焼けた匂いが鼻をつく。
ぼろぼろの壁も、元は清潔な白い壁だったようだ。
病室のような、無傷で白い壁を保持している場所も見える。
「ここ……どこ……?」
答える声のかわりに、せわしない足音が聞こえてきた。
あちらこちらに行きながらも、どんどん複数の足音は近づいてくる。
どうしよう、不法侵入とか言われたら――
そんな不安が湧きだしてくると同時に、中庭をはさんで反対側の廊下から、背広の屈強な男たちが現れた。
しかも彼らは、私を発見するなり目の色を変え、かっちりしたスーツを着ているとは思えないフォームで突進してくる。
逃げようという気持ちが一瞬で霧散した。
私は棒立ちで、彼らの到着を迎えた。
「主人公子さんですね?」
「ハ、ハイ」
「シークレットサービスの者です。アルフレッド様の命により、お迎えに上がりました」
「ハ、ハイ…………え?」
太陽の光を反射して、バッジがきらりと光った。
バッジの中で、翼を広げ、睨みをきかせるハクトウワシに、私は言われるがまま黒塗りの車に乗り込んだ。