第25章 雨の中へ
困惑しつつ、ひとまずいないと否定した。
話がのみこめない私に、ギルがたたみかける。
「車が空飛んでたり」
「しません」
「家事とかするアンドロイドが普及してたり」
「しません」
「じゃあ月旅行とか」
「ありません」
うーん……と唸って、黙りこむギル。
しばしして、なにか納得したように何度も頷いた。
手元の事典をめくりながら言う。
「俺の世界で“ハインリヒ・アッペルフェルド”がやったことが、お前の世界では“エルヴィン・シュレディンガー”がやったことになってる。
全く同じことを、全く異なる人物がやっている。
これは確定事項だ」
ふむ。
「だが、もう1つ公子に知らせておかなきゃなんねえことがある」
ギルは、ひらいたページのある部分を指さした。
目を私に合わせ、少々もったいぶった間をもたせる。
「俺らの世界には、“ネゲントロピー”がない」
「ねげんとろぴー?」
なんじゃそりゃ、と思いつつ、ギルが示す箇所を読んだ。
シュレディンガーさんは、エントロピーと反対のような概念
“negative entropy”略して“ネゲントロピー”という概念を作ったそうだ。
しかし、ギルの世界にそんな概念はないらしい。
「アッペルフェルドとシュレディンガーは、やったことはAからZまで同じだ。
方程式を作ったという“A”。
“箱の中の猫”の思考実験を作ったっつう“B”」
たしかに、AからZまで、一から十まで同じだった。
向こうのアッペルフェルドの項目は、シュレディンガーのそれと大差なかったように思う。
シュレディンガーという人名を、アッペルフェルドに書き換えただけ、と言えるほどだ。
「だが、アッペルフェルドには、“ネゲントロピーを作った”という“X”が欠けている」
彼の言い方はいかにも意味深だった。
神妙な面もちで反応を迫ってくる。
私が言葉に詰まっていると、彼は助け舟をだした。